人を成長させる言葉とは。

調理場という戦場「コート・ドール」斉須政雄の仕事論を読みました。そこに、斉須さんが調理場にかけてある言葉から感じたことについて。

 

一、至誠に悖(もと)るなかりしか
一、言行に恥ずるなかりしか
一、気力に欠くるなかりしか
一、努力に憾(うら)みなかりしか
一、不精に亘るなかりしか

 

自分に問いかける、なんともよいことばだな、と思います。

特に、  努力に憾みなかりしか。

これは、自分を律するというよりも、そっと自分を反省する言葉ですね。

あと一歩の努力なのに、気持ちが緩んだり、めんどくさい!が勝ってしまったり、できないことがあります。

そんなときに、この言葉で問いかけてみれば答えが返ってくると思います。

 

重要なのは、努力してないじゃないか!しろよ!というやるべき正しいことの押し付けではなくて、「それでいいの?」という問いかけの形であることです。

押し付けの意見や標語は、心には刺さらないし、行動も変わらない。一方で問いかけの言葉は、自分が能動的に答えを出そうとするものなので、心に留まり、行動が変わってゆく。

人を変えてゆく、成長させてゆくのは、押し売りの標語ではなく、問いかけの言葉なのではないか。自分にも他人にも、問いかけていきたいですね。

 

言葉の出典を調べていただくとわかるかと思いますが、こういう組織で押し付けでない標語は意外でした。(正しい価値観を植え付けるものだとばかり…思ってました)

そう考えると、人が成長することの根本はいつの時代も変わらないのかなと。

 

小学校の標語とは反対ですね。

 

勉強しましょう。

なかよくしましょう。

優しくしましょう。いい人になりましょう。

いじめてはいけません。

 

勉強して、意味はありますか?

仲良くして、よかったですか?

優しくすることは、いいことですか?

いじめっこになってみて、どうでしたか?よかったですか?

 

すごく穿った見方のようですが、こういう風に考えるのが大切なんじゃないかとおもうこの頃です。

 

そう考えると、周りには問いかけをくれる人が多くいることに気がつきました。問いかけをもらったら、大切にして自問自答します!

 

だらだら書きましたが、それではまた。

 

食戟のソーマから読み取る勝負哲学

食戟のソーマ第1巻を読んだ。1巻だけの中途半端な読み方ですが思ったことがありましたのでメモ。

ソーマ(主人公はそのへんにありそうな定食屋の息子。料理は美味しいが、なぜか不味い料理も作ってみて食べてみる(趣味なのか?)父親の料理の味を超えたい。(でも父親から料理学校に通わされる

えりなさん。ライバル??小さな頃から最高級の料理を試食し、味をみてきたエリート料理人。味覚が鋭敏で、料理の味がイメージで映像化される。

1巻読んだだけではこんな感じでした。

が、この食戟のソーマの主人公とライバルの考え方の対比に明確な勝負哲学が潜んでました。

えりなさんは完璧主義、エリートなのでもちろん失敗なんていたしませんし、授乳中にコクが足りねえとダメ出しする、料理人としても家柄も能力もまさにサラブレッド。

一方、ソーマは美味しい料理も作るが、激不味い料理もあえて作り、食べさせる。失敗から新しい料理を次々と生み出していく。

 

この2人の対比は、プロゲーマーの梅原大吾さんの「勝ち続けるための意志力」で書いてあった「勝つこと」と「勝ち続けること」の違いが明確に対比され表現されていました。

「勝つこと」…あるひとつの勝負・試合に勝てればいい。10点満点の8点とれればいい。過去のセオリーを学び、要領が良く、失敗はしない。(いわゆる優等生、完璧なタイプ)勝つための一番の近道をいくが、9点、10点にはあがれない。(=イノベーションは起こせない)

「勝ち続けること」…一つの試合の勝ち負けが重要なのではなく、勝ち続けることが重要、そのためには自分自身が成長し続けなくてはならないが、成長のためには失敗を重ねなければならない。セオリー通りに要領やるのではなく、愚直なまでに失敗と改善を重ねて、実力を積み重ねていく。そうして積み上げた実力が、勝ち続ける力となり、10点満点の世界で、10点、12点をうみだすことができる。

そして、プロの世界ではその10点を出せる者が、勝ち続けていく。というのが梅原さんの考えでした。

こう考えると、当然、ソーマが「勝ち続けていく」のでしょうね…。

 

学校教育では、ここでいう「勝つこと」に評価基準がおかれており、「勝ち続ける」ために試行錯誤をする余白が与えられていないのではないかと思う。

「すぐに」「はやく」結果を求めることにより、我々は無限大の可能性を捨て去って、効率的な結果を出そうと必死になっているし、みんながそれを求めている。

それが正しくないというわけではないが、そうでないことにも目を向けたい。

これまでよかったことや、よかったやり方は、いつか古くなるだけなのだから。

だから失敗しても責められることはないし、それは一歩ずつ踏み出しているという証明なのだと思う。

 

失敗することなしに、勝ち続けることは不可能であるという勝負哲学。

みんな、ソーマに学ぼう。

 

それでは、これにて。

 

人と比べるなんてやめよう。

1年で100冊読むを目標にしたけれども、尊敬する先輩は月に60冊でした。エェエ!びっくり。比較してやっぱりまだまだなのね。と思ってみたりしました。

さて、今回はこんなきっかけから、人と比較することについて考えてみます。

 

正直人と比較なんてしなくていいと思ってます。なぜか?一人ひとり違う、全く同じ人間がいない という中で、「前提を把握しないまま」比較してもいい効果なんてないからです。

じゃあ、前提を把握してから比較すれば効果あんの?という書きぶりですが、効果、あると思います。

まず、人と自分を比較することは2種類に分けられます。

①主観的に単一の視点で比べる。

一般的にやる、人との比較はこのパターンが多いのではないでしょうか。

私の事例なら、先輩⇨月60冊、私⇨月10冊。うわー、全然違う、全然読めてないだめじゃん私…。

単一の視点は、本を読んだ冊数

主観的な比較は、先輩より冊数の少ない私はだめじゃん、という判断

②客観的にいろんな視点で比べる。

いろんな視点とは、例えば下記のとおり。

自分と先輩の読み方はどう違うのか?

なぜ、読める冊数がそれほど違うのか?

冊数が多いほうが良いのか?

その知識をどう活かせているのか?

自分はなぜ月に60冊は読めないのか?

などなど…もっと核心にせまる視点はあると思いますが、とりあえずこんなもんで。

客観的に比べるということは、例えば…

・自分と先輩は毎日本を読むことにかける時間が違う。または読む速さが違う。

⇨では、読む時間を増やそう!速読できるようにしてみよう!

・先輩も60冊読めるようになったのは最近であり、私と同じ頃には10冊程度しか読んでいなかった

⇨焦ることはない!先輩の年齢になった時にそれくらい読めるようにどうすればいいか?考えよう。

客観的に、いろいろな視点で比べると、いろいろなことを考えながら、つまり思考しながら自分と人を比較できます。

①と②をこのように比べると、②のほうが効果的な比較ができています。①は主観的になり、視野が狭くなり、思考停止に陥ります。「○○で劣っているから、ダメだ⇒だからやらない」という判断は、自分自身が決めているものですが、これが一番成長を差し止める気がします。

そのためには、②のような比較を意識し、主観的な判断をなるべく避けることが効果的なのでは。

①のような比較の仕方に陥りがちな人は、②のような考え方を試してみると、自分への否定感はなくなって、正しい事実が認識できると思います。

 

他人は他人。自分がどう成長できるかを念頭において、

効果的な比較、比べ方をしよう!

 

それではこれにて。 

インプットとアウトプットどっちが大事?

ビジネス本とかを読むと、インプットとアウトプットについてはどうしたらいいのか?について色々と書いてあります。

今回はインプットとアウトプットは、成長するためにはどうあるべきなのか考えてみたいと思います。

私の考え方の変遷は以下の通りです。
①インプットが最重要!インプットこそ命!期(学生時代〜社会人1年目)
⇒テストで要領良く点をとるためには、とにかく量をインプットしながら繰り返すことだと信じていたため。この時のアウトプットは、暗記のために必要なアウトプットをとにかくしていました。知識は増えたし、テストの点もまあとれていた。社会人になってからもとりあえず自分に不足しているのは、知識だ!!と思っていたため、本を読みました。
②アウトプット命!期(社会人2年目前半)
⇒本を読んでも、一向に変わる気がしない。そして、インプットなんか少量でいんじゃないの?大切なのは生産性でしょ?という某社会派ブロガーちきりんさんのエントリを読み、アウトプットこそ重要かも!そしてじぶんはしてないかも!と気がつく。そこからはとにかくアウトプット。とにかく本を読むのを少しやめて、ノートに自分の考えを綴る日々を送りました。
ただ、それで何が生まれたか?と言われると微妙で、やはり成長の糸口がつかめず、壁にあたりました。壁に当たった時は本を読んでみるとなんとかなると思っているので、徐々に本を読み、インプットに戻ってきました。
③アウトプット重点意識し、インプット期(2年目後半〜現在)
さて、成長するために必要なインプットとアウトプットって、なんぞや?とおぼろげに考えはじめました。このあたりから、こんなインプットとアウトプットのバランスとかについてしっかり考えていたわけではありませんが、なんとなくやっていることがアウトプット重点意識+インプットをそれなりに行う…ということでした。
アウトプットに関しては、慣れていなかったので特に意識しなくてはできませんが、インプット無しだと、アウトプットのネタがすぐに底をついてしまいます。そのため、本を読みつつ気になったテーマを深掘りしてアウトプットに繋げていく…という現在の形に一先ず落ち着いています。車の両輪のように、自分に必要なバランスでインプットとアウトプットをやっていくことが必要だなと実感。実践中です。

巷では、とにかくインプットせよ!インプットしとけばなんとかなる派と、生産性あげるためのインプットしろよ(インプットだけしてても意味ねえよ)派がいる気がします。著作を読むとその部分は顕著に見えます。
ただ、インプットせよ!と勧める人は、アウトプットを意識していないけれども、当然のごとく行っている人でないかと。単純に暗記のごとくインプットしている人はそこまで(著作をかけるほどまで)成長できないと思うからです。アウトプットを自然に行っているため、自分はインプットでここまで成長できたのだ!と感じ、アウトプットに自覚的になれないのでは?
だから、結局のところ成長し続ける人はインプットもアウトプットも、やっていて、両輪の輪として前進できる力にしているのだと思います。
結論としては、自分の能力と向き合って、インプットとアウトプットのバランスを決めよう。そして、自分の能力と向き合うことは、インプットの知識(例えば、フレームワークだとか。)だけでは向き合えないものであり、自分自身で枠組みを作って考えていくしかない気がします。
辿り着くのは、こういう当たり前の結論ですがそこまでのプロセスを文字にすることに意味があると思います。

それでは。

思考するための具体的な方法

思考方法について考えています。

主に本から、思考することについて色々なインプットをしてますが、思考方法(どのように思考をするのか?)については具体的なことは書かれていません。たいてい、なぜかを考え続ける、くらいです。(おそらく、書き手の方が思考を自然にしてきたから、具体的な方法論は示せないのでしょう)

そのため、思考するということを明確に意識してなかった自分が、「思考する」具体的な方法について書きたいと思います。

【思考を深める方法】

◎何か事象があった時、自分が思ったことについて「なぜ?」を重ねる。

例:(講演会を設定するに当たり、コンセプトを考え、設定する友人に伝えた時)

  うまく伝えたいことが伝わらず、「人に伝えるのって難しい!!」と思った。

⇒ふだんなら、このまま、難しかったわ―。という感想で終わるところですが、ちょっとひっかかったので、考えました。

 ○「難しい」って、どういうこと?

  5Wで考えてみました。

  いつ?=友人につたえるとき。

  どこで?=打ち合わせ場所で

  だれが?だれに?=私が、友人に

  なにを?=講演会を面白くさせるため、講演会のコンセプトを伝えること。

  なぜ?=自分が思い描いていた「伝えたい内容」が、友人に伝えた後、意図していたように伝わっていなかったから。

  (あ、5Wでやってもみると一番本質につながるのは、やはり「なぜ」ですね。)

  今回の、「難しい!」という感想をもったのは、「意図したことが、自分の思うようにつたえられなかった」ということが原因でした。

⇒つまり、今後行うべき対策としては、意図したことが伝わるようなスキルを磨くべきであるということです。

さらに深めると

⇒意図したことが伝わらないのはなぜ?

  ・伝え方が、相手の立場に立っていなかった。

  (自分の言いたいことだけ言ってしまっていた)

  ・伝える内容が悪かった(やりたいこと・伝えたいコンセプトと、それを伝える方法につながりが説明されてなく、聞いている側が理解できなかった。)

  

このように、自分が思ったこと・感じたことを「なぜ?」で突き詰めていき、具体化するというプロセスを行うことが思考であると思います。

一言でいえば、「なぜ?」っを問いかけ続けよ!ということであり、本でも言われている事と同じですが、このように具体化していくことで、どういうふうに思考すればいいのか、わかるようになるのではないかと考えています。

うまくいかなかったとき、割とうまくいかなかったことから離れようとする(例えば、テレビを見て忘れるなど)ばかりでしたが、今回はその失敗を見つめなおし、「なぜ?」と向き合うことができたのがとてもよかったと思うし、テレビなどに逃げ込むよりも成長が実感できるので、とてもプラスになった。

 

それで、は!

デザイン生成のプロセスを分解してみる。

職場の有志で参加する民謡流しの会の手ぬぐいデザインを作成しました。

デザインを完成させるプロセスをふりかえりました。

 

所要時間:25時間くらい

成果物:A4半分の大きさ×8案(ボツ(下書きのみ)が3案くらい。)

行程:下書き後、ペンいれ

コンセプト:民謡流しに参加したことを、思い出に残す手ぬぐいにする。手ぬぐいを持っていることで、祭りの参加した経験を人に話したくなる、伝えたくなるものにする。

○経過

・コンセプトを明確にしようと言語化を試みる

→方向性は決まったものの、言語化しても具体的なデザインにはつながらず。イメージは3案くらいなんとなく浮かぶ。

→情報を集める(画像検索・写真検索)

・コンセプトをもとにかきだす

→かきだす→ややいきづまる→書き続ける→かいたものから、新しいアイデアが浮かぶ!

→アイデア実現のため新たなインプット(画像検索)主にロゴから検索。

→さらに広がる、完成。

○振り返り

・言語化したとしても、デザインの案にはつながるわけではない。

・デザイン量を増やしたいならば、かいたほうがアイデア等のひらめきがおおい。

→努力の方法を間違うと、効果が出にくくなる。効率が悪くなる。

・アイデアが乏しいとき(理想形・完成形が思い浮かべられない時)にインプットしてもすぐにアウトプット量にはつながらない。

→どうしたいかというイメージがインプット前にあったほうが効率よくインプット可能。

・視点が変わった時にアイデアがひろがる。

 →今回は、絵(イラスト)ではなく文字をデザインの主役におくことにしたら、アイデアがでてきた。行き詰ったら視点を変えることが重要だが、一度成功するとその方向をまげたくなくて、視点が狭くなりがち。

→それを打破するには?…今回の場合は、ひらめきと、書くこと。

→ひらめくためには?…なぜ?と考え続け、書き続けること。ひらめきのきっかけは言葉にできない直観的なものだと思うが、そこまでのプロセスに欠かせないのは書き続ける事だったと思う。納得いくものができないのはなぜか?と考える事+実際に手を動かすことがあってこそ、新たなものが生まれる。気がする。

○まとめ

・ひらめき=考え続ける事+実際に手を動かす事

 どちらか片方しかしてなければ、ひらめき(新しい視点)はうまれない。

・実際に手を動かす方法は、間違えないほうがいい。

 絵を描きたいのに、文字にするはちょっと違う。文字にするのに、絵を描くのはちょっと違う。少し遠回りになってしまう。(でも、やってみることは重要!発見があるから。)

・考えている時間は、本当に答えが出るのか、わからないけれど、その時間が無ければひらめきは生まれない。

。考えている時間はどんな方法で何を考えているのか?気にしたらおもしろそう。

 

以上です。

自分が得意なことほど、自然に(=何も考えずに)やることが多く、なぜそう書くのか、なぜそう思ったのか、なぜそうひらめいたのか…など考えることは少ない。なので、振りかえりの機会もなかったです。

私にとっては、絵をかくことは比較的自然にできる分野なので、考えることが少なかったが、今回考えてみると思考のプロセスが見えてきたのは面白い発見であり、宵振り返りの機会となった。

 

それで、は!

素直さとは

今年はインプット強化年として、年間100冊読破を目標に読み進めています。

その中からひっかかったことについて

「ひらめき教室~「弱者」のための仕事論~」松井優征・佐藤オオキ 著

佐藤オオキさん(デザイナー)の採用基準は、素直であることだそう。

ただし、その意味合いとしては

①従順(指示に従う)②物事にバイアスをかけないで受け止められる

②のほうの素直さ。

 

いわゆる就職試験で企業や組織が学生に求める「素直」とは、①の意味のほうが大きい。

それは組織として一番効率的(と思われている)な動き方が、「トップからの指示をうけて、それを的確に間違いなく遂行する下位の人々がいる」という仕組みだから。

ただし、世界が変わっていくにつれ、その形態ではうまくいかないことがでてくる。

そういったときに、組織の仕組みは変えないまま、個人にだけ変化を求める(今どきの学生は、指示待ちだ!という批判とか。)のってフェアじゃないよね、と思います。

ちなみに自分は①の意味で、大変素直な人間です。

 

それで、は!