言葉は共感と物語を生むためにある。

語彙力が多いとなんとなくいいよね。と思ったのでそのことについて。

ローカルメディアのつくりかた:人と地域をつなぐ編集・デザイン・流通

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そう思ったきっかけはこちらの本を読んで、紙媒体のメディアで発信をするには(当たり前だが)必ず言葉が必要になるということと、情報の羅列ではなく、言葉には価値をつけることができる(価値があれば人はお金を払う、つまり言葉はお金になる)ということを感じたからだ。

例えば、街の観光名所の名物のミルクソフトクリームをフリーペーパーに掲載し、その紹介文書くとしよう。

「ご主人が手間暇かけてつくった牛乳でつくった、愛情たっぷりで新鮮なミルクソフトがおすすめ☆」

というのと

「朝4時。ご主人は70頭の牛の乳搾りをしている。僕はこれほどまでに乳搾りは丁寧に行われるのかと驚きを隠せなかった。ご主人は言う、「手間はかかるが、これがいっちゃん美味しく搾れる」愛情が溢れるほどに注がれた牛乳から出来上がった、ミルクソフトクリーム。」

この違い。文書的にフリーペーパーのターゲットやらコンセプトは全く異なるとしても、どちらにお金を払って手に入れたいと思うか?

ここから、人は情報によってではなく言葉によって価値を感じるし、さらに言えば、言葉で紡がれる物語性に価値を見いだし、お金を払う。

つまり、人に価値があると感じてもらうためには、共感できる、共感したくなる物語性を表現することが重要だ。

そしてその表現は、言葉によっておこなわれるわけなので、言葉ひとつにも価値があり、お金になるわけだ。

そんな前提の中で、語彙力を増やす意味は何か?

人に共感してもらえるためには、人が言葉にできていないし、潜在的に思っていることを言語化することが必要だ。

語彙は共感したくなる物語性を描く言葉を書くためのツールであるため、たくさんの種類の道具をもっていたほうが、より豊かな物語を構築できると思うので、語彙はたくさんもっていたほうがいい。そうすれば、色々な表現ができるので、人の共感を得やすくなる。

例えば…

「りんご=赤い」

「りんご=赤い、瑞々しい、麗しい、あまい、毒、美しい、黄色い、」と当てはめられる語彙がたくさんあるほうが、りんごを赤いと思っている人以外にも、共感してもらえる。

本日は、言葉について考えました。

 

@終わりに

そんなこんなで、共感と物語には言葉は必須なんだ、ということを考えましたでした。