誰のために怒るのか?
職場であったことからメモです。
上司から、怒られることがあるが、そのあり方について整理したいと思います。
職場で、職員が上司に怒られる、ことはよくあることだと思いますが、今日はその怒られた方は「なんでそんなこといわれなきゃいけないの!」となり、上司もピリピリして、非常に、空気が悪かったのです。言葉を受け入れられないことは、内容がやや理不尽だったのかもしれないし、もともと相性が悪い、みたいな理由もあるかもしれません。
しかし、怒られたときって、受け止められる時と受け止められない時があります。
それは何が違うからなのか?について考えてみました。
○気分で怒る人。⇒受け止められない・受け止めたくない
自分の精神面がささくれ立って、怒ってしまう場合は、たとえ怒る内容が正しものであったとしても、受け止められないし人間的にもやや未熟さを感じますし、理不尽に感じることがあります。
よって、どんなに正しいアドバイスでも受ける側は受け止めたくないと頑なになる可能性があります。
○その人の気分でなく、信念によって怒る人。⇒受け止めたい!
その人の気分とは一線を画して、それはすべきではない、いけないことであるという信念のもと怒られたら、自分の考えとは異なっていたとしても、納得感はあるから、受け止めたくなると思う。
今回のことから学んだことは、
・怒る側に立つときには、(できるだけ)自分の精神面を安定させることを意識すること
・自らの信念や理想があること
が必要なのでは?ということです。
本当は、怒る前に客観視することが必要と思ったのですが、怒るということは非常に感情的なので、客観視は難しい。思わず、ってありますよね。(客観視できてたら、それはもう怒るではなく、叱る、諭すになる)
ただ、その感情的な中にも受ける側が、受け止められる場合とそうでない場合があります。
私だったら信念による怒りで怒ってほしいと思います。
人に動いてもらうのが一番難しい。自分を動かすのもままならないのだから、そりゃあ、そうだ。と思いつつ精進したいです。
それではまた!