思考のやめどころを自覚する。

思考は大切、考えることは大切。「自分の頭で考える」事の重要性を考えだしてから、そう考えておりました。

同時に、「考え続けなければいけないし、考えることを放棄するのは逃げだ!」と思っていました。

が、本当にそうか?という疑念が。

今回は思考を放棄するタイミングと決断について考えてみたいと思います。

例をあげながら、考えてみます。

例:Aさん(友達)が困っているらしいことに対して解決してあげたいが、困っていることが何かがわからない。(Aさん自身も言語化できていないため、伝えられない)

・まず、思考をやめる(放棄する)っていどういうこと?

⇒ある問題について考えることをやめてしまうこと。

例でいえば、Aさん自身もわからないなら、困っていることがわかるわけないじゃないか!考えても仕方ないよね!ご飯食べて寝よ!

という感じ。うーん、結構こういうことはよくあります。私。

・タイミングと、決断とは?

⇒やめる、ということを決める、意識して判断すること(意識的に!)

この例でいうと、Aさん自身もわからないなら、わかるように他の友人から聞き取りをする、Aさん自身の立場になって、何に困っていそうか分析してみる…など、考えることを続ければ困っていることを把握し、解決する糸口が見つかるかもしれません。

 

で、今回考えていて、あれっ?と思ったのは、これまで私は「やめる」という『タイミング』は、無意識で『決断』していたということです。

比較的、仕事にかかわることについては昔よりも考えるようになったし、考えることを投げ出さないように意識している部分はあります。「なぜ、そうなるのか?」「どうしたいのか?」「どうなったらいいか?」など、考え続けるようになったと思います。

が、人とのコミュニケーションに関する部分(今回の例のように、人が困っているんだけど、言語化されていない場合など)については、「他人のことなんてどうせ考えてもわかるわけがない」といって考えることをやめるハードルが低かったことに気が付きました。

今回考えたことをまとめてみると…

◎思考をやめるタイミングと決断を意識的に行うことで、自分の思考の癖がわかる!

ということがわかりました。(私であれば、人の想いを理解することは難しいという思考の癖があったことを自覚しました。)

ただ、思考をやめるな!と言っているわけではありません。だって友達が困っていることが自分にはどうにも解決できないこともあるだろうし、悩みだって理解できないこともあります。が、その問題はそこまで考える必要のある問題なのか。

「なんのために」思考をやめるべきなのか、いつのタイミングでやめるのか。を考えて決断すべきと思います。

これはきちりんさん&梅原さん共著の「悩みどころと逃げどころ」とは、どういうことかを実感を持って、感じられたと思います。

 

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)

 

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今回は伝えたいことを伝えきれなかった。。自分でもうまくまとっ待っていないような気がします。長いし…。もっと要素を抽出していいたいことを絞ればわかりやすくなりそうですね。

そして1日1記事は時間的に厳しい!事を自覚。