生活者視点を忘れていないか

本日は、社会のシステムは、生活する身体を置いてきぼりにしていないか?ということを考えます。

 

人間は一つの体と心しかもっていなくて、それを切り分けるのは不可能である。

確率は100万分の1であっても、飛行機事故にあったという事実は、その個人にとって1か0でしかない、あるか、ないかという問題。

例えば、身体がきかなくなってねたきりになったとき、その理由は様々である。難病なのか、下肢のきかない障害なのか、加齢か。

でも、本人にとっては、身体が動かない理由が重要なのではなく、動かないもどかしさ、そしてどうやって生きるのかということが重要になってくる。

しかし社会の制度(行政の制度)は身体が動かない理由でそれぞれの人々を切って分ける。結果(身体が動かないこと)はおなじなのに、支援の方法や、きまりが異なることで、身体が動かないことによる生きにくさに差が出てくる。(支援が手厚い部門、手厚くない部門)

例えば、認知症高齢者への支援は世間的に注目もされ、支援制度もあるが、若年性認知症はまだ支援制度が充実しておらず、高齢者であれば受けられる支援が受けられない、ということが生じる。

 

このようなことから

⑴専門性はいかがなものか。

身体を内蔵、心臓、手足、脳、など分けて専門的に考えるのが現状だが、これでいいのか?それぞれの専門に特化することで全体を見通せなくなり、マイナスになることはないか?

⑵手段の目的化がないか?

 ①もっとも解決すべき課題(身体のきかない人の生き辛さを解消する)を解決することよりも、②できた制度をそのままで、③各部門がそれぞれ別々で運用することへの優先度を高くしているために起こりうる。

これもまた手段の目的化…と思う。

 

生活者視点から考えることで、見えなくなっていたものが見えるようになり、課題解決のヒントが見えてくる気がします。

 

ではまた!

・三日坊主すらならず。毎日書き出すって、意外に大変ですね。