すてきなブログと感想について

ブログを読みました。

この方の文体が素敵すぎて、本日はそのことのメモ。

inujin.hatenablog.com

_(素敵だなあと思う点)_

・語り口がシンプル・淡々としている。

・とても読みやすい

・静かにではあるがしっかりと心に入ってくる。

・文章はとてもシンプルなのに、思考が深い。

・世界をみている客観的かつ主観的な視点がたまらない。

・行間・余白を感じることで、自分の思考が刺激される。

 

_(感じたこと)_

・私の感動ポイントは、文章に余白があること。

 最近ビジネス書ばっかりで、わかりやすいんだけど、ぴっちりと無駄のない文章ばかりを読んでいたので食傷気味だったのかもしれない。ほんとうに、わかりやすいのだけどね。相手の「これが伝えたいんじゃー!」というモノが隙間なくある整頓された文章よりも、「ああ、空白がある。」と感じるくらいの隙間のある文章のほうが好みだということがわかりました。

これはビジュアルにも言えており、ミニマリストをこっそり目指している私は、きっちりと整頓された収納よりも、スカスカな収納のほうを好むのと同じなのかもしれないと思っています。

そして、余白があると自分の思考が動きだします。この人はこう思ってるけど、どうかな。と考えられる頭の構造になっているのでしょうか。

 

_(だがしかし)_

だがしかし。自分もそんな文章で伝えたい。

と思っても、伝えたいことが伝わらない散文になりがちなのである。これまではそんな自分に陶酔し、伝わらないのはあなたとの感覚がちがうから。などと大変自己中心的でした。おそらくですが、自己中心的であれば、文体だけ真似しても伝わらないのですよね。そういう点でいろいろ学ばなくてはと思います。

仕事ではとにかくわかりやすく「これを理解するんじゃー!」という文章をかかなくてはならないので、しばらくは精進したいと思います。

 

_(さらに気がついたこと)_

自分の中の価値観として、なぜだか「努力なしで成果を出すのがかっこいい」みたいな気持ちがある事に気が付きました。

努力は素晴らしいと思う一方、漫画でよくある「天才」を評価する評価軸が自分の中にあるようです。

 

また会いましょう!まちこと

やりたいこと探しに終止符を。

やりたいことはなに?

現代はまるでやりたいことがなければ生きている価値がないように扱われ、誰しもが、やりたいことがなくてはならないという考え方に縛られているように思う。

私もその一人であって、社会人になってからずっと、やりたいことはなんなのか、悩み続けている状況にある。

「やりたいことなんて別にない。なくていい。」と冷ややかに世間を見ることはとても簡単だ。学生時代、私はそんなやりたいことなんて特にない派だった。日々を安穏と過ごせればいいではないか。そんな気持ちで生きてきた。

が、社会人になって自分の時間に制約ができたこと、学生時代と比べて様々な人と出逢うことができるようになったことで、「私ってこれからどう生きていくのだろう?なんのために仕事していくんだろう?」と思うようになった。

答えを求めて本をたくさん読んだが、「やりたいことを達成するための方法」しか書いていなかった。やりたいこととは各々の個人が持つべきものなので、それを持っている事は当然であるという前提があるように感じた。

本を書き上げられる人は、やっぱりやりたいことなんて持っていて当然なの?それがみつからないから悩んでいるのに…どうすりゃいいの?

そんな出発点から考えたことについてまとめてみました。

『やりたいこと』をつきつめれば『自分の価値観』

社会派ブロガーちきりんさんは「自分の時間を取り戻そう」にて、”欲しいモノを明確にしよう”という章を設け、「自分はなにを手に入れたいのか」ということについて正しく理解すべきであると言っています。(下記まとめたものです。)

  • 手に入れたい価値は「お金持ちになりたい」などの目標ではなく、具体的に言語化する必要がある。
  • 欲しいものが正しく理解できていないと、時間やお金などの資源を無駄にしてしまう。
  • がんばるほど、過去の投資を正当化して「欲しいもの」がずれてしまう。(資格を取って社会の役に立つぞ!→勉強→(社会構造が変わって、もうその資格に大した価値が無くても…)→資格がなければ、人生終わりだ…。
  • 「やるべきこと(やって当然と世間が思っている事、周りに人がっやっていること)」と「自分がやりたいこと」が同じだと思い込んでしまう。

なぜ、やりたいことを「正しく理解する」ことが重要なのでしょうか?

それは、第一に『やりたいことは自分の価値基準』であるためです。

毎日の生活の判断の軸になる価値基準、例えば「テストで100点をとりたい」というやりたいことに、「どうしてやりたいの?」を問いかければ、「親に褒められたい」「達成感を味わいたい」…といった答えがあると思います。

ここで、価値基準は何か?と考えると、「親に褒められたい」→親が良く思われていたいという価値基準。何がいいのか判断する基準は、親におかれている。

「達成感を味わいたい」…テストで100点取る事の成果をとる経験は達成感のあるよいことであるという価値基準。自分の経験に基づき、自分の快なことを良しとする基準。

つまり、自分が何を、どのように、基準にして、判断しているのかを自覚することができます。この基準がどういうものか把握しないと、テストで100点をとっても親から何も言ってもらえなかった…と自分のやりたいこととズレた結果しか手に入らなくなり、かけた時間が無駄になります。

そして、その価値基準を「他人・世間」におくべきでないと考えています。他人や世間の評価を基準にした場合、その結果はコントロールできないものが多くなり、結局手に入れたいものがズレてしまうことになりかねないからです。

じゃあ、なにからやったらいいんんだろう?自分のやりたいことを見出す手順を考えてみました。

やりたいことの100のリストを作る

これだけですが、意外と有用なのでは?と予想しています。

ただし、下記の2点を意識しながら。

①具体的に書く。(×彼氏をつくる  ○同じ趣味のカメラが好きな彼氏を作る)

②なぜやりたいのかを深堀する(なぜ彼氏が欲しいのか?絶対に譲れない点は何か?達成したらどんな状況になるか?)

①については、100個も上げるとなると具体的に書かざるを得ないという理由もあります。

②については、「なんとなくやりたいから」と思考停止するのではなく、なぜやりたいのか?なぜ100のリストにいれたのか?と突き詰めることで自分の価値基準を言語化できます。まさに自分のアタマで考えよう!ですね。

 

さて、これについては今年実践して、結果を報告したいと思います。

それではまた!

 

 

 

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう

 

 

 

2016年で100冊読んでみた結果

あけましておめでとうございます。2017年と相成りました。心機一転、

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2016年には100冊の本を読みました。

昨年は「本を読む人だけが手に入れるもの」(藤原和博 著)を読んで1年に100冊読み切ることを目標にしました。100冊読んだら、どうなるかについて報告します。

結局、100冊読んでも、なんにも変わんなかった。

あれ?100冊も読んだら、なにかしらスキルアップしているハズだと思いますよね。

なんにも変りませんでした。確かに色々な情報には触れたし、いいことは書いてあったけど、その書いてあるスキルだとかをイマイチ生かせられなかった感覚があります。

ああ、こういう感覚ありませんか?がんばったと思ったし、達成感もある気がする。

なのに、なんか違う。結果がイマイチついてきてない…。

ふと気が付きました。ああこれ、これって…無駄な残業と同じ!!!(つまり、時間をたくさんかけて仕事する→時間をかけたので達成感がある→でも、仕事は終わっていない)

これはまずい。なにがまずいかというと、さんざん読んだ、生産性に関するビジネス本に書いてある、生産効率の低い人と私は全く同じことをしている…。ということに気が付きました。ショックです。ええショックです。「なにこれ生産性低う~」みたいな感じで読んでいた例が自分自身だったなんて…。

さんざんインプットしても、変わらない原因は?

さて、へこたれていないで原因を究明してみましょう。

・そもそも、なぜ100冊読もうと思ったのか?

→なんとなく、とにかく、向上したい!スキルアップしたい!

→読んだ本に100冊読むと良いと書いてあり、やってみよう!と読み始める…

→が、何をどのようにしたらスキルアップなのかわからないので、把握できず…

これって…

・そもそも、なぜ残業しようと思ったのか?

→プレゼン資料、もうちょっと時間をかけたらなんとなくよくなりそう。もう少し残って考えよう。

→あれを取り入れてみたらいいかも…やってみよう!と新しいデータをいじりはじめる

→が、結局なにをどのように良くしたいのかわからないので完成せず…。

とまったくもって同じ構図ですね。

原因は、やる目的が明確化されていなかったこと でした。

なんのためにやるの?ということを設定しないまま目標を達成したため、「ただ100冊読んだだけ」=「目標は達成したけど、なんの成果も得られませんでした(目的達成委はできませんでした)」ということになりました。

それでは、次はどうしたらいいの?

①目的を明確化する ②目標設定をする ③目標達成した時の成果を数値化して測れるようにする

→100冊読む!を事例に考えると…

①文章を読んでまとめるスキルを獲得し、人のためになるアウトプットをしたい ②100冊本を読み、ブログにまとめる ③ ブログの閲覧数が増える、仕事で文章をまとめる作業が15分も早くできるようになる

こんな風に、具体的にすると比較もしやすいし、成果や目的の達成度も測りやすくなることでより良くすることが可能になります。

 

今日はここまで!

目的のない目標達成は、単なる長時間労働と同一である。が本日の教訓です。

 

言葉は共感と物語を生むためにある。

語彙力が多いとなんとなくいいよね。と思ったのでそのことについて。

ローカルメディアのつくりかた:人と地域をつなぐ編集・デザイン・流通

ローカルメディアのつくりかた:人と地域をつなぐ編集・デザイン・流通

 

そう思ったきっかけはこちらの本を読んで、紙媒体のメディアで発信をするには(当たり前だが)必ず言葉が必要になるということと、情報の羅列ではなく、言葉には価値をつけることができる(価値があれば人はお金を払う、つまり言葉はお金になる)ということを感じたからだ。

例えば、街の観光名所の名物のミルクソフトクリームをフリーペーパーに掲載し、その紹介文書くとしよう。

「ご主人が手間暇かけてつくった牛乳でつくった、愛情たっぷりで新鮮なミルクソフトがおすすめ☆」

というのと

「朝4時。ご主人は70頭の牛の乳搾りをしている。僕はこれほどまでに乳搾りは丁寧に行われるのかと驚きを隠せなかった。ご主人は言う、「手間はかかるが、これがいっちゃん美味しく搾れる」愛情が溢れるほどに注がれた牛乳から出来上がった、ミルクソフトクリーム。」

この違い。文書的にフリーペーパーのターゲットやらコンセプトは全く異なるとしても、どちらにお金を払って手に入れたいと思うか?

ここから、人は情報によってではなく言葉によって価値を感じるし、さらに言えば、言葉で紡がれる物語性に価値を見いだし、お金を払う。

つまり、人に価値があると感じてもらうためには、共感できる、共感したくなる物語性を表現することが重要だ。

そしてその表現は、言葉によっておこなわれるわけなので、言葉ひとつにも価値があり、お金になるわけだ。

そんな前提の中で、語彙力を増やす意味は何か?

人に共感してもらえるためには、人が言葉にできていないし、潜在的に思っていることを言語化することが必要だ。

語彙は共感したくなる物語性を描く言葉を書くためのツールであるため、たくさんの種類の道具をもっていたほうが、より豊かな物語を構築できると思うので、語彙はたくさんもっていたほうがいい。そうすれば、色々な表現ができるので、人の共感を得やすくなる。

例えば…

「りんご=赤い」

「りんご=赤い、瑞々しい、麗しい、あまい、毒、美しい、黄色い、」と当てはめられる語彙がたくさんあるほうが、りんごを赤いと思っている人以外にも、共感してもらえる。

本日は、言葉について考えました。

 

@終わりに

そんなこんなで、共感と物語には言葉は必須なんだ、ということを考えましたでした。

 

行政の立場のアレやコレ

本を読んで考えたとからひとつふたつ。

 ローカルメディアのつくりかた:人と地域をつなぐ編集・デザイン・流通

 

ローカルメディアのつくりかた:人と地域をつなぐ編集・デザイン・流通

 

 

この本の話としては、行政と民間の協働でローカルメディアを作る際に、行政には異動というものがあり、担当者が2〜3年で変わるのでローカルメディアの一貫性を通すために行政はサポートの役割に徹し、内容については深く関わらないようにしているということだった。

 

ここから、行政はサポート役に徹せよ、徹すべきであり、最近は我が物顔で地域づくりやらなにやらやっているのはちょっと違う。本来はサポート役であるべきなのである。という方向かなあと思っていたが、考えていく間にそういう議論は面白味がないし、ちょっと違うよなあと思い始めたので別の観点から。ただしこの考えも後ほどテーマにあげたいと思う。

さて、話は、ずれた。

こんなことを発端にして、行政はサポート役に徹せよ。というものではなく、プロジェクトの中での自分の立ち位置を決め、その役割を全うすることの重要性、そしてそれを組織でやるにあたって必要なことについて考えてみたいと思う。

 

まず、プロジェクトにおける役割は非常に流動的であると感じる。あまり大きくないプロジェクトとチームであれば顕著かと思うが、ひとりが広報をしてひとりが企画をして…と役割が明確に分かれている場合もあればそれぞれがちょっとずつ役割を担っている場合もあるだろう。

それはどうやって決まっていくのか?ひとえに、それぞれのプロジェクトで、それぞれ必要なように決まっていく。プロジェクトに参加する人間とその関係性によって千差万別である。

それ故に、プロジェクトにとって最もよい役割や立場、関わり方は「コレだ!」と一般化、マニュアル化できないものである。

プロジェクトにどう関わるか、どういう役割をしたら良いのか、に対する答えは、個別具体的に、それぞれのプロジェクトで考え抜き、判断されるべきなのである。

そのように考えると、今後、行政と民間の協働事業などのプロジェクトにおいて必要な力は、「こういう役割でやったから上手くいったよ!」という事例の積み上げを集められる力ではなく、ゼロから「我々のプロジェクトではどういう役割をすべきなのか。」ということを話し合える力(コミュニケーションスキル)であり、それを伸ばすことに尽力したほうが良さそうである。

 

 ベストな方法を探そうというときには2種類ある。

①好事例を探しだして真似をする方法(そのために必要な能力⇨情報収集能力、分析能力)

⇨正解はどこかにあって、それを探すというスタンス

②自らの状況を鑑み、その中でベストな方法を創造する。(そのために必要な能力⇨ベストな方法を生み出すための創造力、コミュニケーションスキル)

⇨正解はどこにもなく、生み出す必要があるというスタンス

 

現在多くのことは、①のように考えられていると思う。それはそれで必要な力ではあるが、千差万別な状況の中で正解などどこにもあるはずもない。

組織としては、そのような状況の中でもベストな方法を生み出せる人を作り出す仕組みづくりが重要になってくると思った。

 

@終わりに

書きたいことが上手くまとまらないのだが、なぜだろうか?書いている間に考えが浮かんできていろいろ書いてしまう!これを、整理し直すのがいい文章なのだろう。一発書きではなく。

 

 

成長とは何か?

本の読み方が変わってきた。

前は兎にも角にも早く読み切って知識量をあげようとしていたが、最近は考えることが多く、読んでいる途中で、手を止めては考え、読み直し考え…を繰り返している。

この本に書いてある事例は何かに生かせないか。なぜこうなるのか。こういうケースだったらどうだろう?というように、ひとつひとつを自分とその周りに落とし込んで「読む」ようになったように思う。

これまでの一気読みだと「こんなことあるのね、ふーんすごいね。」で終わってしまっていた。それと比べると、かなり自分の考えや、他の事例との比較など多面的に考えられるようになってきたのでは?

「とにかく多読、乱読」(年間100冊読破!)を目標にしてきた一年がもうそろそろ終わりに近づきつつあるタイミングで、このように読みの質が変わりつつあることは、面白い変化だと感じている。

また、このような変化を自覚する時期は、これまでよりも伸び幅が大きくなっていく時期である(受験で言えば、一気に模試の点数が上がるなど)ため、非常に楽しみである。

 

さて。そんな経験から思ったことについて。

 

成長とは、自分の頭の中の理想イメージをイメージ通りに現実化するために必要な自身の力をつけることである。

イメージした現実と、実際にやってみた現実のギャップを埋めるために、人は成長していきたいと思うのだろう。

そして、そのような力をつけるために、スキルアップや体験を積み重ねていくのだ。

例えば、

(理想イメージ)有名イラストレーターのようなこんな風な素敵な絵を描きたい!

(今の現実)棒人間しか書けない…

(成長 )イメージ通りの絵を描くためのデッサンを学ぶ➡︎デッサン力の向上(成長!!)

(成長後の現実 )イメージ通りの絵が描ける

 

成長とは何か?なぜ成長したいと思うのか?について考えていたが、ようやく答えがひとつ出た気がする。

私はとにかく、成長したい!!学びたい!!という意欲はあったが、「成長してどうなりたいの?」という答えに答えられなかった。

自分のイメージ通りに現実を動かすためのスキル習得が成長なのであって、やみくもなスキルアップは成長とは少し違うきがする。

その辺りを分かった上でどう成長したいか(つまり、理想と現実にはどんなギャップがあるのか?)ということを理解していないと成長しても意味がない。(無駄ではないと思うけれども。)

そしてそのためには、なりたいイメージや理想が大切なのである。この辺りはよくよく経営者などの本に書いてあるが、やっと自分自身で納得、腹落ちしたと思う。

まだまだがんばります。

 

@終わりに

今回は相当、つらつら思いのまま書いてしまいましたので、論理的ではないし読みづらい気がしますが、書いている間に納得できたのがとても良かった。

これを今度は論理的にまとめられると良いのですね。精進!

 

それではまた。

 

人々が共有できる情報と価値観

本日は、人々が共有できること、共有できるものって技術の進歩と共に、減ってきてるよね。それってどんなことに影響を及ぼしそうか?ということについて考えます。

 

高度経済成長期、1960年代〜

・オールウェイズ三丁目の夕日東京オリンピックの時代

情報源:テレビ、ラジオ

オリンピックならオリンピック、プロレスならプロレスと、ほとんど見るチャンネルは同じであった。

⇒誰しもが経験したこと、見たことであるので、そこから得た情報から時代の雰囲気を、その世代の人であればある程度共有ができる

A「あの時はああいうことがあったよね。」B「わかる!あの時はこうだったな〜」A「そうそう!あの時は…!」

 

現在?アップルなど情報機器の技術向上、SNSなど、コミュニケーション、情報発信の多様化

情報源:テレビ、ラジオ、インターネット、SNS  (多様化)

情報の発信源が増えたため、みんなが共通して知っている情報が少ない。

つまりこうなると、高度経済成長期と比べても共有できることは少なくなり、すごくコアな趣味、ニュースでも自分の興味のあることが同じ人としか、情報の共有ができなくなる。

 

このような状況の場合、受け取る情報が人によって全く異なるため、一億総中流だとかのように、一定の価値観を共有ことは難しくなる。

・(一定の価値観)一億総中流は日本国民の理想である!3種の神器を持って、みんなで同じランクの生活をしたほうがよい

・(単一の情報)3種の神器をもち、中流で、何もかもうまくいっている家族像

→これを目指してがんばるべきだ!(共有できる価値観)

・(複数の情報)お金がなくても幸せそうに暮らしている人のブログ、お金持ちでも家庭がガタガタな人のSNSの投稿

⇒中流を目指さなくてもいいのでは?俺は、お金持ちになりたい!私は、質素でも充実したい!(複数の価値観)

 

このことから、現代ではみんながそれぞれの情報から、バラバラの価値観を持っていると推測します。

それを理解したうえで、同じ場を共有したことのない他人とのコミュニケーションにおいては、もはや「一億総中流いいよね〜」『あー、わかるわかる!』というような楽ちんなコミュニケーションは通用しなくなるはず。『え、そうは思わないけど』という価値観の異なる人に、どう伝えるのか。

誰にでも伝わるようにコミュニケーションを磨いていくことが必要になります。

なので、最近は論理的思考とかコミュニケーションスキル(=価値観が異なる人に伝える技術)を学ぶことが重要視されてきているのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回は、昔と比べて情報の共有ができないよね。という出発点から、なんでコミュニケーションスキル大事って言われるのか?という疑問の答えに繋がる話になりました。そこは、自分がはじめに想定していた話でなかったので、びっくりしました。

こういう風に、過去の変化の連続を分析することで現在、そして未来が見えてくるのかもしれません。