人々が共有できる情報と価値観

本日は、人々が共有できること、共有できるものって技術の進歩と共に、減ってきてるよね。それってどんなことに影響を及ぼしそうか?ということについて考えます。

 

高度経済成長期、1960年代〜

・オールウェイズ三丁目の夕日東京オリンピックの時代

情報源:テレビ、ラジオ

オリンピックならオリンピック、プロレスならプロレスと、ほとんど見るチャンネルは同じであった。

⇒誰しもが経験したこと、見たことであるので、そこから得た情報から時代の雰囲気を、その世代の人であればある程度共有ができる

A「あの時はああいうことがあったよね。」B「わかる!あの時はこうだったな〜」A「そうそう!あの時は…!」

 

現在?アップルなど情報機器の技術向上、SNSなど、コミュニケーション、情報発信の多様化

情報源:テレビ、ラジオ、インターネット、SNS  (多様化)

情報の発信源が増えたため、みんなが共通して知っている情報が少ない。

つまりこうなると、高度経済成長期と比べても共有できることは少なくなり、すごくコアな趣味、ニュースでも自分の興味のあることが同じ人としか、情報の共有ができなくなる。

 

このような状況の場合、受け取る情報が人によって全く異なるため、一億総中流だとかのように、一定の価値観を共有ことは難しくなる。

・(一定の価値観)一億総中流は日本国民の理想である!3種の神器を持って、みんなで同じランクの生活をしたほうがよい

・(単一の情報)3種の神器をもち、中流で、何もかもうまくいっている家族像

→これを目指してがんばるべきだ!(共有できる価値観)

・(複数の情報)お金がなくても幸せそうに暮らしている人のブログ、お金持ちでも家庭がガタガタな人のSNSの投稿

⇒中流を目指さなくてもいいのでは?俺は、お金持ちになりたい!私は、質素でも充実したい!(複数の価値観)

 

このことから、現代ではみんながそれぞれの情報から、バラバラの価値観を持っていると推測します。

それを理解したうえで、同じ場を共有したことのない他人とのコミュニケーションにおいては、もはや「一億総中流いいよね〜」『あー、わかるわかる!』というような楽ちんなコミュニケーションは通用しなくなるはず。『え、そうは思わないけど』という価値観の異なる人に、どう伝えるのか。

誰にでも伝わるようにコミュニケーションを磨いていくことが必要になります。

なので、最近は論理的思考とかコミュニケーションスキル(=価値観が異なる人に伝える技術)を学ぶことが重要視されてきているのです。

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今回は、昔と比べて情報の共有ができないよね。という出発点から、なんでコミュニケーションスキル大事って言われるのか?という疑問の答えに繋がる話になりました。そこは、自分がはじめに想定していた話でなかったので、びっくりしました。

こういう風に、過去の変化の連続を分析することで現在、そして未来が見えてくるのかもしれません。